縫 心 記

     第五回

臣 士


 我家での、好き嫌い克服方はこうだ。例えば僕は幼い頃ヨーグルトが嫌いだった。それを知った両親は「おいしいヨーグルトを食べたことがないからだ」と言って,ある日スーパー等には普通に売られていない,少し高級なヨーグルトをどこからか手に入れて食べさせてくれた。
 「騙されたと思って一口だけ食べてみなさい。全部食べろとは絶対に言わないから」
 その言葉にまんまとはまって、食べられるどころか好物になったものは多い。子どもの好き嫌いに毎度そんなことをしていたのではキリがないので、実際「黙って食べろ!」と言われることもよくあったが、ヨーグルトの件以来、嫌いだと思っていた物や、初めて見る料理を、「ちょっと食べてみようかな」と言う気持ちで見られるようになった。その意味では、好き嫌い克服法と言うより「食わず嫌い克服法」と言うべきか。今は、あれが嫌いこれが苦手という人を見ると、損しているような、と思ってしまう。
 しかし、世の中にはわがままな好き嫌い以外の理由で、特定の食品を食べない人もいる。例えばアレルギーを持った人である。よく知られているものは、蕎麦、卵、牛乳と言ったところか。他にも様々な食品にアレルギー反応はあり、その症状、程度もその人その人で違う。食べて即命に関わるというものから、なるべくなら食べない方がいいと言うものまで、聞いた話では、卵を食べ過ぎるとじんましんが出るが、その前になぜか卵が嫌いになり、食べなくなるという人もいるそうだ。こうなるともう一種の適応というか、進化というか、驚くばかりである。
 最近では、そのようなアレルギーを持った人を見たり、一緒に食事をする機会が増えた。友人達と年越しの蕎麦を食べようと買い物に行ったときも、一人が、自分は蕎麦はだめだから、うどんにすると言ったのだ。
 正直、その時僕は少し戸惑ってしまった。みんな一つの鍋を囲んで蕎麦をすする中、一人だけ淋しそうにうどんをすする場面が想像できたからである。個人的には、うどんより蕎麦の方が好きなのだが、せっかくみんなが集まって楽しく食事をする時に、それも30人や40人の集まりならば、一つのメニューを変更するのは大変だが、4、5人の中で一人だけ別の物を食べさせるくらいなら、みんな「年越しうどん」でもかまわないのでは……。
しかし、そんな僕を横目に、本人は淡々とうどんを買い、一緒に調理は出来ないからと自分でうどんを茹でて、みんなが蕎麦を食べているのを何も気にせずにうまそうに食べてしまった。変に気を使おうとしてぎこちなくなった僕の気持ちが一辺に楽になった。
どうやら彼を始めアレルギーを持った人にとっては、自分だけ別の物を食べる機会など日常に近いもので、その為にみんなの食べるものを変えてもらおうとは思わないそうだ。アレルギーを持たない僕が一番気になるのは、「自分が食べている横に別の料理があって、気にならないのか。もしそれを見て食べたいと思うようなことがあれば、気の毒」と言うところだが、蕎麦の件の彼は、「食べたことがないから、どんな味か知らないので、気にならない」と答えた。
これまで僕は、食べ物に対してあからさまに好き嫌いを持つ人を、あまりよく思わなかった。一緒に食べていて、「これは嫌い。まずい」と言われると、作ったくれた人に失礼だし、その料理が自分にとってもまずいような気がして、嫌な気分になった。しかし、今回、別の理由で料理を食べない人を見て、そしてそれが誰の気分を害するわけではないのを知って、「この人はこれを食べない、又は食べたがらない」という事実は、その人の考え方や姿と同じ、個性の一部ではないかと思うようになった。確かに、周りの人を不快にするような好き嫌いの表し方はいただけないが、その人が嫌いな食べ物は何かを知ることは、逆にその人の好みを知る絶好の材料となるかもしれない。
そういえばおれ、嫌いな食べ物、何だっけなぁ……
まえ

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