縫 心 記
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韓国ブームである。 キムチ、焼肉、ピビンバ。各種調味料が店先に並び、韓国料理の特集が百貨店やテレビでしょっちゅう組まれる。 ある日、何気なくそんな番組を眺めていた母が呟いた。 「ちょっと前は見向きもしなかったのに」 韓国を離れ日本に移り住んだ祖母。対馬に生まれ育ち、大阪でぼくと弟を生んだ母。そして祖母は今、森ノ宮で毎日キムチを漬けている。 幼い頃、僕は辛い物が嫌いだった。「常に七味を持ち歩く、辛い物に目が無い日本人」と辛い物が嫌いなぼくと、どちらが辛味に強いかというと、血というものは恐ろしいもので、これはもう比べ物にならないのだが、食べても平気ということと好きということは違い、ぼくは正月や法事に祖母の家の机に溢れる韓国料理をほとんど食べずに過ごした。 韓国の家庭で辛い物を食べないというのは、それだけである種異端の存在になる。まだ小学生にもならない従兄弟達が見るからに激辛色の味噌を豚肉の上に山盛りにして頬張る。炊きたての飯を大量のキムチと共にむさぼり食う。 満足に一人で食事もできない幼児までもが、母親に与えられたキムチをせっせと平らげている。そんな光景を横目に、ぼくは白飯と、汁と、数少ない辛くないおかず、そして申し訳程度にキムチを一口だけつまんで夕食を終えるのだった。 それほど好きでもなかった祖母のキムチが、この世で最も旨い物に変わったのは、高校生の頃だったように思う。級友達と夕食を食べに行った時、一人が頼んだキムチを何ともなしに一切れつまんで、今まで身近過ぎて知ろうともしなっかた祖母のキムチの価値を痛烈に思い知らされた。店の人には失礼極まり無い話だが、そのキムチの余りの味気無さに、やっと祖母のキムチの旨さを知ったのだ。その日ぼくは帰るなり冷蔵庫から祖母のキムチを引っ張り出し、白飯を二杯平らげた。 「あんたもやっと、キムチの味がわかるようになったね」と皮肉を言って笑う母に答えもせずに夢中で食べた。旨かった。 数ヶ月に一度、祖母から電話が入る。 キムチができたからとりにおいで。 数日後には父の車で祖母の家を訪ね、夕食をたらふく食べて帰ってくる。家族で行けないときは、ぼくがでっかいリュックを担いで自転車で行ってきたこともある。 昔と一転して、白菜のキムチが欲しい、大根が食べたいとうるさいぼくに 「ちょっと前は見向きもしなかったのに」と、いつかの母と同じ言葉を呟く祖母、しかしその表情はとても嬉しそうである。 ばあちゃんのキムチは、母とその七人の弟の家に常にあって、孫であるぼくや弟が食べ、今では数人の曾孫がこれを食べている。 「誰も教わらなかったから、ばあちゃんの代でこの味はおしまい」と母は言うが、ばあちゃんにしかこの味は出せないのであって、誰が習おうが習うまいが同じであるような気がする。そして、家の冷蔵庫からキムチが消えた日々など、ぼくには想像もつかない。それどころか、将来ぼくが家庭を持ったときにも、家の冷蔵庫の片隅にばあちゃんのキムチが置かれているような気さえする。 ありえないことだが、祖母の子と孫達にとって、ばあちゃんとばあちゃんのキムチとは、そんな存在ではないだろうかと思うのだ。 | |||
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