縫 心 記
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昔の忍者が極秘の伝令を遠方に運ぶとき、途中で敵に捕まってその内容を知られないように、情報を文章にせずに全て暗記していた。長く複雑な情報を、一瞬で完璧に記 憶するために、忍者はそれを暗記しながら自分の体に自分で刀傷をつけた。 自分の体を見回して、けがや病気の痕を見つけたら、それがいつどこでついたものか思い出してみてほしい。どれもかなり詳しく思い出せるはずだ。人は、自分の身体に残った痕に関する経験を忘れない。 今、僕の顔の左半分には、ガーゼが貼られている。生まれつきのアザが濃くなってきたので取ってしまおうと云うことで、三ケ月以上の間隔を空けて今回で三度目の手術を先日したばかりだ。手術といっても麻酔をしてレーザーでアザをやくだけで、30分ですむしその日に風呂にも入れる。歯の治療みたいなものである。 しかし歯の治療にしてもそうだが、二度といきたくないと思うものだ。問題はその場所だ。これが腕や足なら切ろうと刺そうと麻酔さえ効いていればなんとか我慢もできようものだが、頬や目の周り、まぶたに注射されるときの苦痛と云ったら「舌筆に尽くし難い」とはまさにこのことである。頬のあたりが痺れてきて、目の玉のすぐ横に針が刺され、麻酔液が目の中に流れ込んでくるのを感じているとき、ふと「今、自分か先生のどちらかがクシャミをしたら」と考えて、生きた心地がしなかった。 麻酔が終わればレーザーをあてる。パチッ、パチッ、という音と共に赤い光が患部を焼いていく。僕自身は目を閉じているので細かい事はわからないが、目の付近を焼いているときは文字通り目の前が真っ赤になる。半分ほど終えた頃、自分の顔の肉が焼けている臭いがただよってくる。複雑な気分である。今は焼いた皮がぺりっと剃けて、下から新しい皮膚ができあがってくるのを待っている状態だが一回、二回と治療を受けるたびに見違えるようにアザがとれたのだからたいしたものである。 もう一つ、僕は小さい頃から鼻が悪く、薬なしでは鼻で息ができない。口で息をすることが多いからホコリが入って痰がたまるし、唇が乾いてすぐに荒れる。しかもどうやらものすごいイビキらしい。ゆっくり寝ていられる休みの日でも、苦しくなって目が覚め、鼻に薬を入れることが多々ある。ひどいときは鼻をつまんでいるのと変わらない。僕は、人間が鼻だけでなく口でも息ができて本当によかったと思う。そうでなければ僕などとっくに窒息している。死因が鼻つまりではうかばれない。 人生は生まれてから死ぬまでに、いくつもの病気や怪我をする。中には長い間つき合っていかなければならないものもあり、それが理由で死に至るものもある。人がそういった病気や怪我のことを、小さい頃の事でもよく覚えているのは、その病気や怪我に関するエピソードが跡になって体にこびりつくからではないだろうか。 体だけではない。心についた跡は思い出、経験となって残る。これから先自分にいくつの跡が心身に残るかわからないが、もし自分が死んだとき、あの世に行く前にその跡を見返すことができたらおもしろいだろう。その為にも今から心身に跡をたくさんつけておかないといけない。何も進んで怪我や病気をするという意味ではないが、傷一つない心身というものも考えものである。 やはり、心に跡をつける努力をし、体の方はつくにまかせる、というのが正しいあり方だろうか。大きなエピソードを持った深い跡を心にたくさんつけるには、どのように生きればよいのだろうか。悩み所である。 | |||
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