縫 心 記
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今年の8月に二十歳の誕生日を迎え、酒を飲むようになって三ケ月と少し。「少し」の部分の方が3ケ月より遙かに長いわけだが、人に連れられて行く居酒屋で最近特に豆腐料理を好んで食べている。というのも、先日この豆腐を一度自分で作ってみようと思い立って、即席豆腐職人となったことがあるのだ。 豆腐作りに必要な材料は大豆、水、にがりの三点のみで、他には何も使わない。実にシンプルだが、それはつまり素材の産地や鮮度といった品質が出来上がりに正直に表れると言うことである。中でも最も重要なのはやはり水であり、全国の銘水を求めれば味わい深いものが得られるよし。逆に水道水で済ませればカルキ風味の豆腐の出来上がりである。「手作り」という楽しさからか、それとも単に自分が味音痴なのか、初めて作った時は浄水器を通しただけの水道水を使ったが、なかなかうまいと感じたものである。今思えばケチらずにせめてミネラルウオーターぐらい使えばよかったと思うが。 各家庭に送られる水は汚染された川の水を飲料水として使用する為に塩素消毒したものである。都会を流れる川の水から得た飲料水は元々水質の悪い所に、必要とはいえさらに薬品を加えたものであるから、その味はひどいものであるが、人々はそれに慣れているので、気にせずに飲んでいる。ぼくは鼻が悪いので余計に水の臭いがわからず、大阪の水を毎日美味しく飲んでいたが、ある時兵庫県美方町の熱田と言う所でキャンプで豆腐を作ったとき、大阪から持参した水と、熱田の山水を飲み比べて驚いた。熱田の水を飲んだ直後に飲んだ大阪の水は、コップに口をつけた時に異臭がし、口に含むと「むめっ」とした舌ざわり。自分達は今までこんなものを平気で飲んでいたのかと考えさせられた。 さて、豆腐の作り方であるが、簡単に言えば大豆とその五割り増しの量の水とをすり潰し煮立てたものを漉して豆乳をとり、その豆乳ににがりを打てば出来上がりである。前日から大豆を水に浸すなど細かい部分はいくらでもある上に豆乳を絞る時は火から降ろしてすぐのものであるから意外に大仕事だが、その分鍋一杯に波打つ豆乳がふつふつと細かい音を立てて豆腐に変わる様を見るのは至福の時である。出来上がるまで飽きずに眺めるもよし、薬味や酒を用意するもよし、だが一口目は必ずそのまま味わってもらいたい。市販のものと比べて、若干柔らかく、そして口に入れた途端広がる大豆の甘さ。手作りでなくては絶対に味わえない、大豆そのものの甘さである。一口味見をした後は、玉じゃくしにたっぷりすくって皿に移し、「おぼろ豆腐」を味わう。醤油、ポン酢で、又好みの薬味を加えて、手作り豆腐はその日の内に食べ切る。 市販の豆腐は冷蔵庫でいくらか保存がきくが、手作りはそうはいかない。一日おけばつんとした臭いを放ち、酸っぱい奇妙な味になり、つまり腐り始める。逆に言えば市販の豆腐には、防腐剤などと言った添加物がだばだばと加えられているのだ。「腐らない食物」というものの、あまりにも奇妙なことよ。日本の人々、特に現代の日本の食品を食べ続けてきた子ども達は、腐りにくい食べ物に異様さを感じられるようになるのだろうか。 僕自身にしてみても、作った豆腐の傷みが異常に早いことに驚き、初めて防腐剤というものの影響を知ったのである。水道水にしても、食品にしても、思えば現代日本の食生活の中には知らず知らずのうちに取り入れている有害な薬物のなんと多いことか。そして人々はそのことにとても無頓着である。美しい自然に囲まれた中であれほどまずく感じた大阪の水を、家に帰るとぼくも平気で飲んでいる。もしかしたら、水の臭いや食品添加物など気にしない方が今は生きやすいのかも知れない。事実今ぼくは大阪の水道水をまずいと感じないし、もし感じることが出来るなら食生活が大変不便になるだろう。 けれど実際に、きれいで美味しい、都会のように無理矢理汚れを取り除いたものでない水や食物があるのだから、せめてそういったものに出会った時素直においしいと思えるくらいの感覚を身に付けておきたいものだと、一日ももたずに傷み出す手作り豆腐を食べながらぼくは思うのである。 | |||
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