6月28日旅先のホテルで『須磨の事件解決、中学3年生14歳犯人逮捕』のニュースが流れました。楽しかった今までの雰囲気も一瞬に吹き飛んでしまうほどのニュースでした。重苦しい中で皆が思ったことは中学生が「なぜ」「わからない」でした。
翌日からの新聞には「仲良しだったのに」「心が痛む」「命の尊さかみしめて」「心の教育を」「原因は大人に」等々の字がおどりました。でも私にはどの言葉もピンときません。今さら「心の教育を」と叫んでみたところで何になるのでしょうか。以前「ゆとりの時間」と言っていたのは一体何だったのでしょうか。学校が、本人の資質が、家庭が等と決められるものではなく、本人をとりまく社会そのものが病んでしまっていたのです。
まず第一にネコの惨殺事件の時にもっともっと話し合うことが出来なかったのでしょうか。ネコは殺してもよくって人間だったらダメなのではなく、ネコも殺してはダメなのです。何故ネコを殺さなければならなかったのか。又何故それを自慢して廻ったのか。その時の少年の心を誰がわかろうとしたというのでしょうか。
修学旅行にしても誰もが楽しみにしていることなのに、それを行かないなんて。だんだんかたくなになっていく少年の心を一人でも支える人はいなかったのでしょうか。学校に行かない少年に向かって「君がいないとさみしいから、顔がみたいから来てよ」と心から言える先生が友人がいなかったのでしょうか。
あの神戸の大地震の時にみせた彼のやさしさは何処へ消えてしまったのでしょうか。一日にして消えてしまった神戸の町、倒れたビル、落ちた高速道路、焼け落ちた家々、そしてそれらの下敷きになって死んでいった多くの人々を目の前にして彼はやさしさいっぱいの作文を書いています。
しかし、日が経つにつれ、こつこつと作り上げた町そのものが一瞬にして無くなってしまった虚しさ、がれきの下から引き上げられる人々の死を見て彼の心に何か人間的なもの、今まで生きてきた価値観などが変わっていったのではないでしょうか。
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