又一人 大事な友達が亡くなりました。誰にも何も言わないで。
66歳 まだまだしたいことが沢山あったような人でした。
私とは考えの違うこともあったけど、同じ考え、同じ思いのこともいっぱいあった人でした。ボランティア活動を通しての友達でした。この「氣まぐれだより」もずーと送り続けていました。時々顔を合わせれば「今こんなことしてるねん、こんな事考えてんねん」と話の出来る人でした。
どうして 何も言わないでと、ずーと考えました。よっぽど強い人だったんでしょうね。でも 私だったらと考えると落ち込んでしまいます。
最近心に残っていることで三浦綾子さんが「自分にはまだ死ぬという仕事が残っている」と言われた言葉があります。「死ぬと言う仕事」とは、自分の死によって何かを伝えたいとか、何かを考えてほしい、感じてほしいとか…… と言うことなのでしょうか。
三浦綾子さんは私の大好きな作家の一人です。長い長い闘病生活、その中から生まれた数々の小説、病気も敗北でなく、死も敗北でなく、その中から夢と希望を見いだす生き方、三浦さんの心の中にある正義感、きっとそれは強い信仰に裏打ちされた生き方であり正義感だろうと思うと、その信仰というものがちょっぴり羨ましくもあり、あこがれでもあります。とっても私にはそのまねごとさえ出来ないけれど、でも私には私なりの生き方があり正義感があると信じ、それを通してみたいと思います。
しかし、若い時はそれらが情熱と良い方にとらえられていたことが、今では頑固さととらえられたりして、年を取ると言うことは悲しいことで今まで出来ていたことが一つずつ出来なくなることです。そのほか、何でもないこと、たとえば電車に乗れば座りたくなったり(私は立って外の景色を見るのが大好き)、よくむせたりと私が年齢を意識する時はだんだん多くなっているのですが、でもそれは悲しいことではなく、当たり前のこととして、老いていく自分を受け入れたい、そして、出来ることは精一杯するが、出来ないことは両手を上げて、人の助けを求める。友達一杯助けられながら、自分の生き方を生き抜いてみたいと思いながら、でもどこまで出来るやらという不安を感じることもしばしばあります。また両手を上げて助けを求めっても誰も来てくれなかったりと心配してみたり、色んな事考え込む61歳の私です。
彼女もきっと色んな思いをいっぱい家族には伝えて天国に行かれたことでしょう。私には届かなっかたけど、きっと天国でこれを読んでニヤッと笑われているような気がします。必ず此の「氣まぐれだより」届けますからね。
2000 12 29
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