この9月19日 箕面市人権啓発推進協議会の学習会で国立ハンセン病療養所邑久光明園へ行ってきました。
一番ショックを受けたのが昭和35年20歳で発病入所の方のお話で、入所の時まず聞かれたのが偽名にするか本名にするか、宗教はどれにするかと聞かれたと話されたことです。本当にそんなん有りって感じです。
話をしてくださった方も偽名で平成8年の「らい予防法」の廃止により本名に変えられた方もあるが、自分は兄弟のこともあり、そのまま偽名で通しているとのこと。現在は半々位だそうです。宗教も7つの宗教がかかわっていて、死んだ時どこかの宗教に属していないと困るからと云う理由で、とにかく7つの中から宗教を選ぶように云われたと話された時はすぐには信じられないことでした。
明治42年、近畿一円の患者を隔離療養所として今の神崎川あたりに外島保養院が出来た。昭和9年の室戸台風により壊れ、その時に患者173人、職員3人、患者家族11人の方が亡くなられた。昭和13年に岡山県邑久に光明園として新しく作られた。だから入所者のほとんどが近畿地方の出身の方々です。
ハンセン病について皆がよく誤解している点を少し書いてみると、
○らい菌によって感染する病気ではあるが感染力は非常に弱い。
だからずーとー一緒にいる子どもに感染するため遺伝と誤解されたこともある。
遺伝 → 断種につながる
○らい菌は低温(33°位)で繁殖し、末梢神経が冒される。
身体の中で体温の低いところといえば耳、鼻、手、足、要するに服から出たところでゆっくり繁殖するため発病まで早くて1,2年平均 4,5年から10年、20年かかる。治るのもゆっくりである。
○よく耳や鼻がとけるとか、かける病気だと云われたが、それはとけたり、かけたりするのではなく耳や鼻の末梢神経が冒されるために感覚麻痺になり、やけどや外傷等による二次的な後遺症である。
○明治40年「らい予防ニ関スル件」という法律で患者を隔離したのが始まりで、恐ろしい病気だと悪いイメージを与えてしまった。
○我が国にも昔からあった病気ではあるが自然に治ったりして、社会と共存していたがハンセンがらい菌による感染病だと発見してから、又目に見える部分の変形のため差別へとつながっていった。
○現在我が国ではハンセン病として治療の必要な人は70人位、平成10年に沖縄で2人の発病が記録されているだけでほぼ終焉に向っかている。
○平成8年の「らい予防法」の廃止により普通の病気になったが、現実問題としては入所者の高齢(平均74歳)、治療法がまだ確立していない時の発病のため後遺症がかなり残っている等の差別の問題がまだまだあり、ここを出てゆく人は少ない。
そして最後まで繰り返し繰り返し云われたことは、ここには納骨堂まであると言うことです。このことは私たちも深く受け止めなければ……。
美しい瀬戸内海の風景と共に心に残しておきたい事です。
私は精神科医神谷美恵子さんがおじさんに誘われていった長島愛生園で大きなショックを受け、それから通い詰めこの閉ざされた中での生きがいについてを研究され書かれた本「生きがいについて」を読んで以来、一度は行ってみたいなと思っていた所です。今改めてこの本を引っぱり出しています。その時(昭和35年)とかなり状況は違うでしょうが、話の中で午前中は治療に、午後は趣味のクラブ(手芸、陶芸、カラオケ)と結構忙しんですよと話されましたが、もう一度ゆっくりそこらあたりの話が聞けたらと思っています。
2000 10 05
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