村瀬君


一番ふさわしくない死に方をしてしまった村瀬君
 あの日からもう3年になるんですね。今でも小柄な村瀬君が大きなKくん(自閉的傾向のある)と腕を組んでニッコリと笑いあっている姿が、目に浮かびます。K君は村瀬君のことが大好きでした。
 初めて彼に会ったのはボランティア講座のときで、人なつっこい目が印象的でした。村瀬君のボランティア活動のきっかけを作ったのは私たちだったと自負しています。あいあい倶楽部(知的障害者を対象とし野外活動をしているグループ)と、おひさまの家(肢体不自由者を対象とし宿泊訓練をしている)のボランティアを求めて講座を企画し、案内のポスターを大阪外大にも貼ったのでした。それを見て参加してくれたのが村瀬君です。(結局外大からは彼一人でしたが)「あの男はいいよ。絶対ボランティアに誘い込め」と講師のアドバイス。いろいろ私たちの活動の説明の後、「全く初めてだけど、僕にもできますか」とボソッと答えてくれたのでした。私たちは「やったぁ」と大喜びしたものです。早速あいあい倶楽部の行事に、おひさまの家の泊まりにと積極的に参加してくれました。彼は今の若者には珍しく、私のようなおばさんに自分のこと、生まれ育った松本のこと、そして妹や弟のこと、お父さんお母さんのことを話してくれました。また夢もいっぱい語ってくれました。せっかく外大でベトナム語を習っているのだから、それを生かしたボランティアを、自分にしか出来ないボランティアをしたい。またベトナム留学から帰った彼は日本とベトナムの橋渡しをしたい。観光でないベトナムの旅を計画したいと、旅好きの私は一番にその話にのったものです。
 そして外大でボランティアサークルをつくってからは、大きな人数を抱えての組織の悩みも話してくれました。アドバイスも出来なかったけど、こんな私に相談をもちかけてくれる彼が大好きでした。
 今度の阪神大震災で、何かしたい、しなければと思いながら、何も出来なかった私ですが、一番に頭に浮かんだのが「村瀬君だったらどんな動き方をしたかな?村瀬君がいてくれたらな」でした。
 私の頭の中には、まだまだ村瀬君は生きています。私たちがしている地味な活動にも理解を示し、本当に障害を持った人、子供のことを考えられる、身体で感じられる人でした。身体のエネルギーも心のエネルギーも、命いっぱいボランティアにかけた村瀬君。まだまだ一緒に活動したくて、手帳の中にはいつも村瀬君の写真が入っています。