怒りについて


 2年ぶりぐらいに猛烈に腹の立つことがあった。新しくできたイタリア料理店でのこと。”なすのグラタン”と”スパゲティー”を注文したら、なんと出された量の多さ。びっくりして聞いて見ると「これは2、3人前です」とごくあっさりと答えられる。こちらは二人で行っているのに、とても食べられる量ではない。どうして最初に「これは300gです。量は多いですよ」と言ってくれなかったのか。勧められるままにサラダまで取ったのに。すぐに店長にそのことを言うと、「店員にはそのように教育しています。」と責任逃れの返事。店員は「すみませんでした」と謝ればいいだろうとの態度。
残すことは作った人に失礼にあたるのに、この食べ残しをどうするつもりなんだろうか。もったいないのに!そして世界、いや日本でも飢えに苦しんでいる人々が一杯いるというのに!こちらの腹の立っていることが解らない。心が通じない。
 もう10年も前のこと、人は何で年を感じるのかと話し合っていたとき、怒りについて喋った。腹が立つ。怒ることはすごいエネルギーがいる。だから怒らなくなったときに年を感ずると思うといったことがある。
 「今は時代が」とか、「世の中ってこんなものだ」とか、「若い人は、まぁそんなものだ」と流されてしまうと腹も立たない。「これはそうではないんだ」「絶対こうでなければ」と思うと腹が立つ。そして、そのことを伝えようとするエネルギーがいる。その基準は人それぞれでしょうが、短気だとかその場だけの感情ではなく、怒りには理屈がある。人間としての道徳感・倫理感、そして社会的正義感がある。「怒りは人に不快感を与えるので、出来るだけ抑えて人とうまくやっていきたい。」というのが現代人かもしれないが、喜怒哀楽あっての人ではないか。もっともっと、いろんなことに腹を立てて怒りを表現してもいいのでは。
 ふと美奈ちゃんのことを思い出した。人の肩を思いきり叩いたり、机をドンドンとやったり、跳びはねたりして、怒りを表現していた。どうしようもない怒りを身体全体で表現していた。自分の思っていることを人に伝えきれなくて、どんなに悔しい思いをしたかと。もう一度美奈ちゃんに肩を思いきり叩かれてみたい。