阪神大震災、オウム真理教


 随分と遅いめだけど昨年は阪神大震災、オウム真理教による事件と大変な年で、店のお客さんも少なく四苦八苦の一年でした。でも良くしたもので、お弁当の注文、夜のパーティーなど朝晩は大忙し、昼はガランとした店でノンビリという具合でした。
 地震のときに考えさせられたことは、もしあの時知事が、市長が、住民の立場を理解して迅速かつ的確に働ける人だったら、随分違っただろうにと言うこと。責任のもたれあいをする公務員の姿を目の前にしてイライラしたものです。でも、その人たちを選らんだのもわたしたち。見過ごしてきたのもわたしたち自身です。そのわたしたちが自分の責任なんだという自覚をもたなければならないのではないか、自分たちの責任で何とかしていこうという考えが自立ではないのか、わたしたち一人一人の自立が如何に大切かということなどを考えさせられました。また、多くの人たちが被災地へ物を送ったわけですが、実際のところ使用されることもなく山のように積み上げられてある荷物が、まだ残っているという事実もあるのです。確かに多くの人たちの善意、何かをしたいという暖かい気持ちが含まれているのですが、客観的に見ると、家の中、会社の倉庫で余ったものを送ってこられ、被災地ではその処理に困り果てているのも事実です。荷物を送った後のことまで責任をもって見届ける姿勢が必要ではないのか、一体善意とは何なのか、と考えさせられます。山積みに去れたそれらの物をみると、物余りニッポンも見えてきて暗い気分になってしまいます。
 次に考えさせられたのがオウム真理教です。何とも考えられない事件でした。たった一人のおかしなおじさんに、超エリートの若者達が巻き込まれていったこと。もしついていく若者がいなければ、誇大妄想の変なおじさんはあんな大きな罪を犯すこともなく一生を変なおじさんで過ごしたかも知れないのに。あの若者達は何を考え、何を求めていたのか、オウム真理教以外に彼らを引きつけるものが今の社会になかったのか。わたしたち自身のこととして考えなければならないことだと思った。