ゆうゆう亭を初めて半年ほどした頃、「うちの子行くとこないねん。ここで働かせてくれへん」と知り合いを通して話が合ったのが最初。
 今5人の精神的につまずき、社会に適応しにくい人達と一緒に働いています。
「薬のんでる?」
「どれくらいのんでる?」
「何時になったらなおるんやろ」
「何時まで薬のむんやろか」
「薬が変わったから、しんどい」
「これ薬の副作用や」
「身体が不自由な方がよかったかも、この病気はしんどい」
「もう少し、皆とうまくしゃべれたら」
「冗談のひとつでも言えたら」
楽しい会話の間にも、ふともれる言葉です。
 病気をもった者同志、薬をのんでいる者同志、気楽さと同時に仲間うちの遠慮のなさ、しんどさをはたで見ていて感じます。そしてこの病気の根にある孤独と不安にハッと気づくこともあります。
 最初の頃、何かあるとすぐトイレに駆け込んだり、「やめます」と言っていたAさん。
 どんなにこちらが忙しくてもおかまいなく気分しだいで「寝てきます」と3階にあがって寝てしまったB君。私たちからみると何も出来ないのに本人は出来ると思いこんで、次々と色んな事をしたがるCさん。
 一番安定しているかなと思っているDさんですら1年を通してみると波を感じます。
 また、こんな会話もあります。
「この間、ここからの帰り道、私のほうをみて何か言うてるねん。悪口を言うてるねん。また会うかもしれへん。そやから今日帰るのイヤヤねん」
「誰が? ...」
「小さい子。小学生かな...」
「そうかもね。あんまり気にせんとき」
「うん」
「今日、ゆっくり帰ってもいいよ」
 また、ある日
「そうやねん。だから店に来てもいいかな...休んだほうがいいかな」
「エー、だれが」
「私、べらべらようしゃべるねん。そうやねん。だから昨日病院へ行って薬もらってきてのんだから」
 まったくソウ(躁)でなくウツ(鬱)のような状態で、こう彼女が言ったときは大笑いしました。
 自分が今、ソウ状態なのかウツ状態なのか、これは幻聴なのか、幻覚なのか、それらが自分自身でよくわかりながら、どうしようもない状態。私たちにはなかなかわかりにくい彼や彼女だけれど、2年経った今、皆と一緒に仕事の出来る楽しさを思っています。
 くるくると早いスピードで変化していく現代社会。経済優先のゆとりのない社会。人と争ってでも生きて行かなければならない世の中。今に生きる私たちにとって、明日は我身、我子に降りかかることかも知れないと、つくづく感じます。